放送作家の文章術㉒読者をどんどん引き込んでいく

放送作家の文章術㉒読者をどんどん引き込んでいく

 書き出しで読者をつかんだら、興味を持続させて、最後まで引きつけましょう。目指すのは、「美味しい文章」です。

 近所に流行らないラーメン屋さんがありました。

ご主人はサービスのつもりで、麺を1・5玉いれているのですが、残して店を後にするお客さんがほとんどです。

「量が多すぎる」といったクレームもよくありました。

 そこでご主人が大盛りサービスをやめたところ、客足はさらに途絶えてしまい結局、閉店してしまいました。

このラーメン屋さんの何が問題だったのでしょうか。

じつは麺の量が「多い」ことが問題ではなくて、スープが「まずい」ことが最大の問題だったのです。

 文章にも、これとよく似た例が数多くあります。

「最後まで読んでもらえない」人が書く文章の多くは、テクニック以前に「つまらない」「読みにくい」「興味を保てない」といった、本質的な問題を抱えています。

ついついスープを最後の一滴まで、飲み干してしまうような「美味しい」文章であれば、多少長くても最後まで読んでもらえます。

 読者には「読まない自由」が存在します。読まなければならない義理はありません。

 これもラーメン店と同じ。一口、スープを飲んでまずかったら、お客さんはそこで箸を置くことが許されています。 

書き手は、そのことを十分、わかったうえで、読者に最後まで読んでもらえるよう文章を書くよう努めなければなりません。

ではどうすれば、読者に最後の一滴までスープを飲み干してもらえるのでしょうか?

最後まで読まれる文章は「のど越し」がいい!

 最後まで読んでもらえる文章は、読者に「これはどういう意味なのだろう?」「このブロックで何がいいたいのだろう?」などとテーマに関係ないことを考えさせません。

 つまり、わかりやすいのです。ラーメンでいえば飲み込みやすい、「喉ごしがいい」わけです。

 「喉越しのいい」文章は、読んでいて無駄につかえることがありません。言いたいことが頭にすとんと入ってきます。

わかりやすい文章とは「読者に確実に伝わる文章」です。ですから当然、「コモディティ」「ダイバーシティ」といった「この言葉の意味ってなにだっけ?」と、多くの人がひっかかるような単語を、説明なしに使うことはありません。

また「さざ波のように起こっては消える微笑」「深海魚のような孤独」といった、美文調の比喩も必要ありません。

目指すのは読者対象に合わせて、わかりやすい言葉で書かかれた文章です。

最後まで読まれる文章は「リズム」がいい!

 とくに内容に興味がなくても、つい最後まで読んでしまう文章があります。そうした文章に共通するのが「リズム」がよいことです。

 では「文章のリズム」とは何でしょうか。

文章読本にはいろいろと書いてありますが、私は心をつかんで最後まで読まれる文章にするために、もっとも大事なのは「聴覚的リズム」ではないかと考えます。

文章で「聴覚」といった言葉を使うと、違和感を覚える方もいるかもしれません。

ただ私は、文章を「読む」行為は、もともと音である言葉を、耳ではなく「目で聴いている」のだと考えています。

目で聴くとき、心地よく頭に入ってくる、それが聴覚的リズムのよい文章です。

聴覚的リズムをよくするには、具体的にはどうしたらよいのでしょうか。

私は音楽のリズムと、まったく同じだと考えています。

村上春樹さんもインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(文春文庫)で「文章を書くのは音楽を演奏するのに似ている」といっています。

いい音楽には「いいメロディ」と「いいリズム」が欠かせません。音楽におけるメロディが文章におけるストーリーや論理展開、そして音楽におけるリズムが、文章においてもリズムです。

音楽のリズムが聴く人を心地よくさせるように、文章のリズムも読者を心地よくその先へと誘います。

読経のように、ずっと同じリズムが続けば、眠くなってしまいます。ですからリズムに変化をつけましょう。

ひとつのパラグラフの中の一文の長さに変化をつければ、それだけで単調になることを防げます。

お手本は、誰もが一度は読んだことのある、あの古典。清少納言の『枕草子』です。とくに「夏」のリズムは最高です。

夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。

このように短い文章でイントロをテンポよく始めて、やや長めの文章で盛り上げる。一番いいたいサビの部分はもっと長い文章にして、最後をまた短い文書でテンポよく締める。そうした変化が文章にリズムを生みます。

作った文章のリズムの善し悪しは、実際に声に出して読んでみればわかるはずです。

最後まで読まれる文章は「飽きさせない」

ラーメンの麺ばかりを食べ続けていたら、やがて飽きてしまいます。

やわらかい麺の合間に、シナチクのパリパリとした食感を楽しみ、淡白な麺の合間に脂が乗ったチャーシューを味わうから、ラーメンは最後まで飽きません。

文章もそれと同じです。何の工夫もない単調な文ばかりが、延々と書いてあったとしたら、読者はすぐに飽きてしまいます。

そこに興味を引くたとえや、共感を呼ぶ実体験、「どういうことだろう?」と考えさせる謎かけなどを織り交ぜることで、読者を飽きさせない工夫がなされているのが、よい文章です。

 飽きさせない工夫の主なものには「引用」や「比喩」、「数字・データ」、「レトリック」といったものがあります。

○引用

 自分の意見や感想と同じ見方をしている、過去の文献や著名人の言葉を引用することで、文章の説得力は増します。

なぜなら、「名言」として長年、語り継がれていることばですから、そもそも、その言葉自体が強いからです。

「〝人間、志を立てるのに遅すぎることはない〟と、かのボールドウィンもいっている」

などと書けば、「かのボールドウィン」が「どのボールドウィン」か、読者が仮にわかっていなくても、文章に説得力がでます。

まるでそれを書いている人が、ボールドウィンと知性や感性を共有している、「頭の良さそうな人」に思えるからふしぎです。

最後まで文章を読ませる人は、そうした効果がわかっていて、引用を使っています。

 百科事典や入門者用テキストなどから引用する、いわゆる「孫引き」は避け、できる限りそれらが引用している元の文献を引用するようにします。

○比喩

 回りくどい説明をするよりも、ピタリと当てはまる比喩が、文章の内容を的確に伝える場合があります。

特に複雑な論理や抽象的な概念などは、比喩を用いるとわかりやすくなります。

たとえば「構造改革の成果はすぐにでるものではない」といった主張をしたいときも「構造改革は対症療法ではなく、漢方のようなものである」と、たとえるだけで「すぐに効果は出ないが、漢方のようにじわじわと体質を改善するものなのか」とイメージさせることができます。

 例えたいものの「〝本質〟とは何か」、「××と同じようなもので身近にあるものは何か」と発想を広げ、想定した読者にとって、どんな分野が「なじみあるものか」を見極めてたとえましょう。

相手が野球ファンならば「野球でいえば~のようなもの」などとたとえれば共感を得ることができます。

「ヒット企画のコツは、ホームランを狙った大振りではない、芯を狙ってシャープに振り切るセンター前ヒットを狙うことが結果としてホームラン、大ヒットにつながるのです。」などです。

他にも「人をモノに」「モノを人に」例える方法などがあります。

*擬人法(無生物を人間に例えて誇張して伝える方法)

例「空が泣く」「海が呼んでいる」「PCの機嫌が悪い」など

*擬物法(人間を無生物に例えて誇張して伝える方法)

 例「彼は大黒柱」「父親は石頭」「ガラスのハート」など

*誇張法(物事を実際よりも過度に大きく表現する方法)

 例「山のような仕事」「血の海」「ノミの心臓」など

こうした「たとえ」は文章のアクセントになります。

○数字・データ

その文章の内容を支持する数値や元になったデータ、数字など具体的な例を挙げると概念的な話でも読み手は理解しやすくなります。

情報番組のナレーションで、気をつけるのが「たくさんの」「いっぱい」「大きな」といった表現です。

そう書くと「どれくらいの量」なのか、受け取る人によって異なってくるからです。

 できるだけ、具体的な数字をあげることで、説得力を持たせるようにします。

『大食い王決定戦』などの出場者のプロフィールを書くにしても「これまでにたくさん、ラーメンを食べてきた」と書くよりも「この10年、3560杯のラーメンを食べてきた」と紹介したほうが、説得力が増します。

 また、挙げた数字が想像しにくい、大きな数字の場合は、よりわかりやすい形に例えてあげれば、さらに伝わりやすくなります。

例えば、貴金属の「金」、人類は6000年前から、金を採掘してきたそうですが、これまでに、どれくらいの量が採掘されたかご存知でしょうか。

 その総量は約150,500トン。こうした場合、数字で言ったあとに「オリンピック公式プール約3杯分に相当する」とフォローします。

最後まで読まれる文章は「描写」でイメージさせている

 読んでいて、思わず頭の中に映像が浮かんでくるような文章は、読者を決して飽きませません。

映画を観た感想をブログに書くにしても、ただ、「よかった」 「衝撃を受けた」ではなく、「しばらく席を立てなかった」とか「映画のあとのランチが喉を通らなかった」などの表現で、情景をイメージさせるのです。

ただ、「感動した」「怒った」「うれしかった」「がっくりした」といわれても、受け手の頭に映像は浮かびません。

しかし、「握りしめた拳が震えた」「思わず飛び上がった」「しばらく顔を上げることができなかった」といわれれば、映画のシーンのような映像が頭に浮かびます。

映像や音声、さらには香りや味、肌触りなどをありありとイメージできるような描写を織り交ぜながら伝えると、いっそう相手の心に深く届き、文章に飽きされることがありません。

読者にイメージさせるには、擬音も効果的です。擬音はテレビのグルメ番組のナレーションでもよく使われます。

たとえば「ジューシーなハンバーグ」を表現するときも「肉汁がたっぷり」よりも、「ジュワーッと肉汁があふれ出てくる」と書いたほうが、よりシズル感のある表現になります。

文章を書くときも「よく冷えたビール」より「キンキンに冷えたビール」、「クリスピーなピザ生地」より「サックサクの歯ごたえを楽しめるピザ生地」といった擬音で表現すれば、料理のイメージが伝わります。

また「サクサクと文章が書ける」「バキバキと肩がこっている」といった表現も、短くて効果的に相手に伝わります。

ただしビジネスの文章には、そぐわないので注意が必要です。

最後まで読まれる文章は「言葉を強調している」!

最後まで読まれるだけでなく、伝えたいことをしっかりと読者に伝えるテクニックもあります。

 そういうときに役立つレトリックの一つに「対句法」があります。対句法とは、対立した表現を使って、コントラストをつくるレトリック。読者の印象に強く残るため、キャッチコピーにも多く使われています。

「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」

「焼肉焼いても、家焼くな」

「NO MUSIC NO LIFE」

 などが代表的なものです。

古今東西で広く知られている名台詞にも、対句法が多く使われています。

「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」

 レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説の主人公、フィリップ・マーロウの名台詞も、かっこよく対句になっています。

「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」

人類で初めて月面に降り立ったアポロ11号の宇宙飛行士、ニール・アームストロング船長のことばも、対句だからこそ人の頃に残ります。

「強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」

 チャールズ・ダーウィンがいったとされる、このことばも対句です。ちなみにダーウィンがこういったと証明するものは、一切ないそうですが、対句で人の心に刺さるため、これだけ有名になったのです。

 たとえば読者に「ラーメンのおいしさを伝えたい」とき。「気がついたら最後までスープを飲み干していた」でもよいですが、「スープを飲み干したのではない、気がついたらスープが残っていなかったのだ」などと対句法で表現すると、いっそうスープのおいしさが伝わります。

 対句法のコツは、伝えたいことの前に、逆の意味のフレーズをもってくること。そうするだけで、振り幅が大きくなり伝えたい言葉が際立ちます。

最後まで読まれる文章は「?→!」の繰り返し

単に「つなぎとめる」だけの小細工をしても、相手の心に深く伝えることはできません。

「本当に伝えたいこと」を伝えていくには、ネジクギをねじ込んでいくように、導入でつかんだ相手の心にさらに深く、ぐいぐい入り込んでいく必要があるのです。

その最も大事な要素が、話の要所に“フック”をかけておくことです。

“フック”とは鉤(引っかけるもの)のこと。話や情報でいえば、「ここ、なんか引っかかる!」といった印象を与えながら、話を進めていくことをいいます。

全米ナンバーワンのセールスライターとの定評を持つ、ジョセフ・シュガーマンは、著書『10倍売る人の文章術』(PHP研究所)の中で、次のように述べています。

「第一センテンスの唯一の目的は、第二センテンスを読ませることであり、第二センテンスの唯一の目的は、第三センテンスを読ませること、そして第三センテンスの唯一の目的は、第四センテンスを読ませることである」と。

シュガーマンはこの手法を「滑り台効果」と名付けていますが、フックをかけ続けて、まさしく滑り台を滑らせるように、読者を引き込んでいきましょう。

いちばん効果的なフックは、「書き出し」のパートでも紹介した、聞き手の頭に「?」を浮かばせる方法です。

具体的にいえば、「実は」という言葉が、その代表。

「なぜ、ダ・ヴィンチはモナ・リザを2枚描いたのか? 実は、そこには……」といった展開法です。

ブログなら、「きのう、六本木を歩いていたら100メートルを超える行列に遭遇。なんの行列だと思いますか? 実は……」 のように、次のセンテンスで「実は……」といえるような文を書いていくのです。

 一旦、相手の頭に「?(なんだろう)」を浮かべさせ、すぐに答えを明かして「!(なるほど)」と思わせるのです。

 たとえば、『きょう、××××という映画を観て、感動した』とブログに書いても何の面白味もありません。

しかし「フックの法則」を使えば『きょうは感動した。映画××××を観たのだ』なります。

こう置き換えるだけで、受け手の心に「何に感動したのだ?」とフック、引っかかりが生まれ、そのあとで「なるほど、感動する映画を観たんだ!」と聞いて納得する、心の動きが生まれるのです。

さらに『このストーリーには、ある映画と共通する秘密があった』などと言葉を続けると、受け手は「どんな秘密だろう?」と頭の中にまた「?」を浮かべます。

そこで、『かつての名画「×××」と意外な共通点があったのだ』とつなげれば、受け手は「なるほど。で、その意外な共通点とはなんだろう?」と、またまた疑問を持ってくれる。

それを話の始まりから終わりまで、絶えず繰り返していくのです。

こうしたフックは、テレビの世界でよく使う、ザイガニック効果の応用です。

ザイガニック効果とは「未完結な情報や中断された情報は記憶に残りやすく、反対に完結している情報は忘れやすい」とされる記憶をめぐる人間の性質のこと。

簡単にいえば、「人は完成したものより、未完成のものに強い興味をいだく」のです。

このザイガニック効果、テレビ番組では毎日、使われています。

民放でいいところまで見せておいて「衝撃の結末はCMのあと!」。

このナレーションは、まさにザイガニック効果の応用です。

「どうなるのだろう。先が気になる!」と視聴者にある種の渇望状態を、制作者サイドが意図的に作り出しているわけです。

人間の脳や潜在意識は中途半端な状態をとても嫌います。

物語なら「エンディング」を知りたい。謎があれば「答え」を知りたい。

推理小説なら「犯人」や「犯行の動機」などを知りたい。 議論や論争があれば「結論」や「決着」を知りたくなる生き物なのです